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2026.09.16

特集

日本遺産巡り#55◆“心にそっと触れさせて――”
カムイと共に生きる上川アイヌの優しい世界へ

紅葉の大雪山(上川町)

「アイヌ語で“こんにちは”は“イランカラㇷ゚テ”と言います。これはね、“そっとあなたの心に触れさせてください”という優しい意味を持った言葉なんですよ」

「神々が遊ぶ庭」と称される美しい大雪山――その麓に住む上川アイヌのおばあさんの話に、心がじーんとします。


北は樺太から千島列島、カムチャツカ半島、北海道を経て、南は本州北端部にまたがる地域に居住してきた民族であるアイヌ。縄文文化の後、大陸から渡来した人々と同化して生み出された弥生文化に移行することなく、続縄文文化へと移り、その後は擦文文化、アイヌ文化というように、本州とは異なる歴史を歩みました。
そのアイヌ文化はさらに地域によって特徴が異なります。
旭川市から上川町にかけての石狩川沿いおよび東川町に伝承される文化や歴史は「上川アイヌ文化」と呼ばれており、大雪山を望んで豊かなストーリーが広がっています。

自然の中にも身近な物にもカムイ~神~を見いだして共に生きてきた歴史、その中で育まれてきた豊かな文化を継承する人々と出会うため、旭川市から石狩川を遡り上川町まで訪れました。
ムックル演奏 上川アイヌの伊澤一家が営む『ホテル大雪』でのアイヌ民族舞踊公演 ムックル演奏
クリムセ(弓の舞) クリムセ(弓の舞)
チカップウポポ(鶴の舞) チカップウポポ(鶴の舞)

石狩川に“魔神”を見いだした
神居古潭の伝説を追う

神居古潭

北海道の中心部に位置する旭川市、その西端にあたる石狩川中流域に、神居古潭(カムイコタン)と呼ばれる地があります。今回の旅はここを出発点として、石狩川沿いに大雪山へと向かうことにしました。

川の中流域から上流域へと遡るのには理由があります。「ペニウンクㇽ(川上に住む人)」と呼ばれた上川アイヌの人々は「川は山へ遡る生き物」と考え、石狩川の最上流にある大雪山を「カムイモシㇼ(神々の国)」に最も近いところとして崇めたからです。アイヌモシㇼ(人間の国)からカムイモシㇼへとめざす石狩川の視点で辿っていくことにします。

ここ神居古潭は、アイヌ語の「カムイ」は「神」、「コタン」は「集落、村」を意味するように、古くから上川アイヌの聖地です。

「まずはこの石狩川に架かる神居大橋を渡りましょう」
上川町役場産業経済課の井上さんと高橋さんが案内してくださいました。

上川町役場産業経済課 井上さん(左)・高橋さん(右) 上川町役場産業経済課 井上さん(左)・高橋さん(右)

水流でできる渦巻き 水流でできる渦巻き

井上さん:上川アイヌはこの石狩川を丸木舟で移動していたのですが、ここは急激に川幅が狭くなるため流れが激しく、水深も深いため、舟が転覆しやすい交通の難所でした。水面を見てみてください、小さな渦がいくつもできているのがわかりますか?川底が岩でごつごつしているため水流が渦巻いているんです。
神居大橋の上から水面を見ると、くるくると小さな渦がいくつもあります。この日はとても穏やかな気候だったので、風による水流ではありません。

神居古潭おう穴群 神居古潭おう穴群

井上さん:岩を見ると、垂直に空いた穴があちこちにありますよね。渦流に入った小石がくるくると回り続けてできた穴で、これらを神居古潭おう穴群と呼んでいます。
なるほど、すると昔はもっと水位が高く、この辺りの岩は水中にあったのでしょう。

井上さん:ここより少し川上へ行くと、人間が何人も入れるほど大きなおう穴があって、「魔神の足跡(ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ)」と名付けられています。さらに川上へ行くと、春志内という場所では覆道の上に「魔神の胴体(ニッネカムイ・ネトパ・ケ)」と呼ばれる巨大な岩がそびえ、その川向かいには「魔神の頭(ニッネカムイ・サパ)」と呼ばれる岩が、まるで胴体から切り落とされたように川岸に立っています。どれも近づくことはできません。この地で恐ろしい魔神伝説が生まれたのは、石狩川でサケ漁をしたり交易を行ったりしていた上川アイヌが、自然の厳しさと共に生きるための知恵だったのかもしれません。

「巨大な岩を投げ込んで石狩川の流れをせき止め、上川アイヌの村を沈めようとした魔神ニッネカムイ。その悪行を止めるために英雄神サマイクルが立ち上がり、激闘の末に魔神の頭を切り落とし勝利した」――そんな伝説が残る地、神居古潭。自然の中に、人間に恵みをもたらすカムイ(神)も危険をもたらす魔神も見いだした上川アイヌの人々は、なんと豊かでユニークな発想力を持っていたのでしょう。魔神の姿を想像して、自然の美しさも恐ろしさも知らされる場所でした。
魔神の足跡 魔神の足跡
魔神の胴体 魔神の胴体
魔神ニッネカムイの頭 魔神ニッネカムイの頭
【神居古潭】
所在地 北海道旭川市神居町神居古潭
アクセス JR旭川駅から車で40分
旭川空港から車で50分

「底なし沼と妖刀」伝説の地から
チカプニを仰ぎ、聖地チノミシㇼへ

次に訪れたのは、立岩・人喰い刀岩と水神龍王神社です。名称から察することができるように、ここにも上川アイヌの伝説が残ります。「底なし沼と妖刀」伝説です。

底なし沼跡 底なし沼跡

底なし沼跡

「昔、上川アイヌの村長の家に、絶対に開けてはいけないと言われるござの包みがありました。ある時、その包みから目を射るような怪しい光が出て、コタンの人を次々に切り殺しはじめました。村長は妖刀を川に沈めたり、土中に埋めたりしましたが、帰ってみると妖刀は元に戻ってしまいます。そこで村長は神のお告げを聞き、この岩の下に祭壇を作って仲間と熱心に祈ると、岩の下に広がる底なし沼から白波がたち、妖刀を呑み込みました。こうして妖刀の呪いは消え去り、元の平和なコタンに戻りました」。

高さ8メートルにもおよぶ巨大な2本の立岩がそびえるこの辺りに、かつてはその底なし沼が広がっていたそうです。沼の底からは刀が発見され、すぐ脇に建つ水神龍王神社に祀られています。

水神龍王神社の鳥居 水神龍王神社の鳥居

水神龍王神社

立岩・人喰い刀岩と水神龍王神社から忠和テニスコートの方へ向かい、石狩川の対岸へと目を移すと、チカプニの大岩が見えます。

チカプニ チカプニ

石狩川に面してそそり立つ大岩には、「チカプニ(鳥・いつもいる・所)」というアイヌ語地名の通り、鹿をもつかんで飛ぶことができるほど大きな鳥が住んでいたという伝承があります。ここは上川アイヌの信仰上で極めて重要な地でした。丸木舟に乗って石狩川を移動する上川アイヌは、このチカプニの前で衣服を正し、被り物を取り、拝んで通過したと言います。

チカプニを語源とする近文山を東へ行くと、嵐山~チノミシㇼ~に入ります。「チノミシㇼ(我・祀る・山)」と言うように上川アイヌの人々が崇めた聖地です。現在は、チセ(アイヌの伝統的な住居)などを復元展示するアイヌ文化の森・伝承のコタンや資料館、北邦野草園などがあり、嵐山の自然とともに上川アイヌの文化や歴史を感じることができます。
資料館を出ると、アイヌの木彫り熊の祖である松井梅太郎の顕彰碑があります。明治時代に土産品の製作が上川アイヌの生業となった頃、熊狩りが得意だった松井梅太郎は、まぶたの奥に残る熊の姿を躍動感たっぷりに木彫で表現したと言います。それらの作品は、この後に訪れる川村カ子トアイヌ記念館に多く展示されています。

松井梅太郎の顕彰碑 松井梅太郎の顕彰碑

チセ チセ

その脇を登ると、アイヌの集落・コタンを復元したエリアに入ります。
3棟あるチセは中に入ることができますし、ヌササン(祭壇)やプー(食料庫)、男女で違う様式のトイレなども再現されており、当時の生活に想いをはせることができる贅沢な景色が広がります。資料館に展示されていた植物や昆虫を探していたら、野生のエゾリスにも会えましたよ。

ヌササン(祭壇) ヌササン(祭壇)

プー(食料庫) プー(食料庫)

メノコル(女性用トイレ)・アシンル(男性用トイレ) メノコル(女性用トイレ)・アシンル(男性用トイレ)

【立岩・人喰い刀岩/水神龍王神社】
 
所在地 北海道旭川市神居町忠和
アクセス JR近文駅から車で6分
JR旭川駅から車で23分
JR宗谷本線旭川四条駅から車で29分
【嵐山「アイヌ文化の森・伝承のコタン」資料館】
 
所在地 北海道上川郡鷹栖町字近文9線西4号
アクセス 旭川空港から車で50分
JR旭川駅から車で30分
営業時間 9時から17時(4月下旬から10月は無休)

「アイヌ文化の森・伝承のコタン」資料館の情報はこちら

カムイと向き合い、自分を見つめる
アイヌの精神文化の魅力

嵐山から車で約8分、川村カ子トアイヌ記念館を訪れました。
迎えてくださったのは、副館長の川村久恵さんです。ピリカ ウレシカの会の代表や、旭川アイヌ協議会の会長、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会の会長も務められており、アイヌ文化継承に大きく貢献されている方です。

川村カ子トアイヌ記念館 川村カ子トアイヌ記念館

副館長 川村久恵さん 副館長 川村久恵さん

まず入口で建物を支える飾り柱に目が留まります。この木彫は、息子さんであり4代目館長を務める川村晴道さんの作品だと教えてくださいました。躍動感と温かみが同居する、とても素敵な作品です。
川村カ子トアイヌ記念館の展示品
川村カ子トアイヌ記念館の展示品
川村カ子トアイヌ記念館の展示品
この川村カ子トアイヌ記念館は、1916年に川村イタキシロマさんが「アイヌを正しく伝えるために」と始めたアイヌ文化博物館が前身となっています。記念館の名称にもなっている2代目館長のカ子ト(カネト)さんは、幼い頃に見た汽車に憧れて15歳から鉄道敷設予定地測量工夫として従事し、みるみるうちに名手へと登りつめ、北海道はもちろん長野県や樺太、朝鮮半島でも大変活躍した方です。三信鉄道の難所開通においても、測量や工事の現場監督を務められました。記念館の2階では、そうした川村家の歴史を辿る資料も多く展示されています。

川村久恵さん(以下、久恵さん)にお時間をいただき、お話を伺いました。久恵さんは3代目館長・兼一さんの奥様で、ご自身はアイヌではありません。記念館の運営とともに、アイヌ文化の継承活動にご尽力されている思いについても、丁寧にお話ししてくださいました。

久恵さん:この記念館では、旭川に生きたアイヌに関する展示をしています。過去の暮らしと共に、今のアイヌについても知ってもらいたいと思っていますし、所蔵する古い写真をもっと展示していく計画を立てています。

先にも紹介したように久恵さんは多くの役割を担っておられ、アイヌ文化を継承する儀式やイベントの開催にも携わっていらっしゃいます。

久恵さん:アイヌ文化を継承していくうえで大切にしているのは、形だけではなく精神文化をしっかりと継承することです。今は、昔のアイヌと同じ生活はできませんから。狩猟や漁撈で生活していませんし、家だってチセ(アイヌの伝統的な住居)ではなく現代建築に住んでいます。だからこそ、家も、工芸品も、作り続けることを大切にしています。作らないと、作り方もその精神も残せませんから。この記念館にあるチセは、材料集めから私も参加して建てたんですよ。
記念館の外にあるチセは20年ほど前に立てられたもので重厚感があり、中に入ることができます。予約をすれば囲炉裏の前で食事をする体験もできるそうです。

久恵さん:生活様式が変わっても残したい精神とはなんだろうと考えたとき、“儀式”を絶やすことなく続けることだと強く思うようになりました。

そんな思いで久恵さんたちはアイヌ文化継承活動に携わっているそうです。

現在、久恵さんたちが執り行っている儀式は、石狩川への鮭の稚魚放流と初漁を祝う儀式、嵐山にて火の神・家の神・自然の神に祈りを捧げる「チノミシリ・カムイノミ」、『アイヌ神謡集』を出版しアイヌ伝統文化の復権復活に多大なる転機を与えながらも19歳で心臓病によりこの世を去った知里幸恵さんの生誕祭、大雪山に入る人者の安全を祈る「ヌプリコロカムイノミ」などがあります。中でも、神居古潭で長年行われてきた「カムイコタンまつり」は、コロナ禍や旧神居古潭駅舎の工事などにより途絶える危機にあったのですが、2024年はこの記念館で、2025年は神居古潭で祭りを行うことにより、無事に開催されました。次年度以降は開催の在り方を検討中とのことです。

木彫

久恵さん:2021年に3代目の館長が亡くなると、息子を4代目の館長そして文化の担い手に育てることが私の使命だと思いました。現代は情報が多く、来館者もアイヌ文化に詳しい人も多くなるだろう。その時に自信を持って応対できるようにさせなければと考えました。さらに自分たちも昔のように暮らしてはいない中、いかにリアリティのある館長、記念館になれるのか考えました。そこで、チセ(アイヌの伝統住居)で火を焚き、火の神と向き合い、自分自身とアイヌについて考えるように言いました。昔の人の暮らしや、願いに思いを馳せながら、火を焚く時間が息子を少し成長させてくれました。生活様式が変化していますが、精神文化に重点に置こうと考えたところ、旭川ではもともと年間7回以上の儀式を行っています。本来儀式の準備は参加者全員で行うのですが、その伝統はなくなり、近年は夫が1人で行っていました。その役割を誰かが担わなければなりません。年若い息子にその役割を担わせることは難しかったのですが、そうするしかありませんでした。男女の役割分担がはっきり分かれているアイヌ社会ですから、私が教えることはできません。そこで、縁のある方に指導をお願いしました。それから儀式で最も重要なイナウを作ることができるようになり、息子は自信を持てるようになりました。それを機に儀式について、私自身も深く考えるようになり、息子とともに学びを続けているところです。
また、重要なアイヌ文化に物作りがあります。男性であれば木彫ですが、 刃物の扱い方を知らなければ一人前とは言えません。ですから、これも旭川にルーツを持つの藤戸幸夫氏にお願いして、木彫の基本を教えていただきました。藤戸氏に出会い、息子はアイヌとしての生き方も学んだようです。

素敵な絆に胸が熱くなります。久恵さんの中に、母親としての優しさも、館長を支える副館長としての強さも、アイヌに嫁いだ女性としてのプライドも感じられました。

久恵さん:儀式とは、自分とカムイ(神)との関係性で成り立つものです。神々に自分の願いを伝え、聞いてもらうためには、常に心正しくいなくてはいけません。こうした精神を継承するために儀式を大切にしています。アイヌの魅力は、“人間くささ”だと思っています。感情的なところも、仲間思いなところも、強く持っている人たちです。

この記念館に展示されているたくさんの木彫や祭具、アイヌ文様の衣服などからは人の手のぬくもりを感じられ、作られた物にもその人間味が宿っていることを思わされます。

貴重な木彫も多く展示されています。民族的でありながらモダンな印象の抽象彫刻を多く残し世界的に活躍した砂澤ビッキ氏、熊や狼などの動物や、先人たちの威厳あふれる肖像彫刻といった具象的な表現が得意だった藤戸竹喜氏、4代目館長の師匠でもあり、繊細な彫刻技術が高く評価されている藤戸幸夫氏の作品などが並びます。
また、2階スペースの半分ほどを占める木彫熊の展示も圧巻です。
木彫熊の多くは、彫刻家ご本人や愛好家から寄贈されたそうです。ちなみに、久恵さんのお気に入りは逆立ちをする小熊だそう。リアルな熊の姿ではないユニークなポーズと表情が可愛らしく、彫った方の愛を感じます。

木彫熊の展示 木彫熊の展示

逆立ちをする小熊 逆立ちをする小熊

こうした作品を見ていると雄大な自然を感じられるのですが、興味深いことにアイヌ語には「自然」という言葉がなく、それは“当然あるもの”として考えられていたからだそうです。

久恵さん:自然に依存する生活だったからこそ、自然を大切にしていたのでしょう。その心を感じられるアイヌの伝承の一つに、オオジシギの物語があります。オオジシギとはオーストラリアの方から8,000キロメートルもの距離を渡ってくる夏鳥なのですが、神様からの報せを天から人間の世界へと届けに来た鳥だとして語られます。人間の世界に来たオオジシギは、木々や川など自然の美しさに心を奪われて、神様からの報せが何だったか忘れてしまいます。そこで天に戻って神様に聞いてこようとするのですが、怒られたら嫌だと思い人間の世界へ急降下します。しかしそれでは神様からの使命を果たせないと思い直して天へと上ろうとするのですが、やっぱり怒られるのはこわいと急降下……と繰り返すのです。

オオジシギがあたふたする様子を想像して、つい笑ってしまいます。 

久恵さん:この物語からわかることは、アイヌが自然を心奪うほど美しいものだと捉えていたことと、オオジシギの生態をよく観察していたことです。オオジシギは実際に、縄張りを守るために急降下しては飛び立つ、という動きを繰り返す鳥なんですね。この動きをユニークに捉えて物語にしたのでしょう。このようにアイヌにとって鳥などの動物は人間の世界に近いところにいる存在であり、さらに興味深いのは、神様すらも人間っぽい存在として捉えていたことです。神様も失敗することがあるし、悪さをして地獄に落ちることもあると語られていて、何でも正しいという絶対的存在ではありません。それでいて、人間だけが偉いのではなく、神様をしっかりと祀る――そういう豊かな感性がアイヌの魅力です。

アイヌに寄り添い共に活動しながらその想いを見つめ続けてきたからこそ、久恵さんはその誇りを受け継いでいるのだなと感じます。そして、あたたかな想いで新たな歴史を刻んでいく川村カ子トアイヌ記念館。また必ず訪れたい、久恵さんの笑顔に会いたい、と思いました。

【川村カ子トアイヌ記念館】
所在地 北海道旭川市北門町11丁目
アクセス JR旭川駅から車で約20分
営業時間 9時~17時
※5月下旬~11月 無休
※12月~4月 火曜定休

川村カ子トアイヌ記念館公式ホームページはこちら

貴重な資料からアイヌの生活を追い、
その文化の成り立ちを知る

旭川駅から徒歩10分ほどのところにある旭川市博物館を訪れました。1993年に開館し、2008年からは1階部分をアイヌ文化の紹介を中心とした展示にリニューアルした総合博物館です。学芸員の飯岡さんが案内してくださいました。

まず、擦文文化期の後期(本州では平安時代)における上川アイヌの暮らしを再現したエリアに入ります。

干し魚をつくる女性 干し魚をつくる女性

飯岡さん:この女性は内臓を取り除いた鮭を保存食にするために吊して乾燥させています。サッチェㇷ゚(干し魚)をつくっているんですね。もともとは丘や高台に集落があったのですが、擦文文化期に入ると、丘を下りて小河川の周辺に集落ができるようになりました。鮭が大量に遡上してくるため川を堰き止めて捕獲し、保存が効くように加工して交易品としたんですね。川は運搬路としても便利でしたから。また錦町5遺跡から焼けた鮭の骨が見つかっていることからも当時の生活が想像できます。

マンガの案内板

展示横にはマンガや文章でわかりやすく説明する案内板もあり、楽しく学べます。
飯岡さん:男性2人が鍛冶をしている様子です。鉄器は、本州との交易で手に入れていたようですが、発掘調査により、石狩川流域でも壊れた鉄の道具を打ち直したり、古鉄などで道具をつくったりする鍛冶の跡が見つかっています。本州から移り住んだ鍛冶屋もいたと考えられます。
飯岡さん:こちらは擦文文化期の竪穴式住居の復元です。本州の文化の影響を受けるなどし、平地式住居に変わっていったのだろうと考えられています。さらに樺太からのオホーツク文化の影響も受けながら、13世紀に固有のアイヌ文化が成立したと言われています。

案内板にある家の断面図を見ると、地面の上に建てられた平地式住居のチセとは構造が異なることがよくわかります。

農耕を行う女性 農耕を行う女性

農耕を行う女性の様子です。北海道には大陸からの農耕文化が入ってこなかったため弥生文化に移らず、続縄文文化、擦文文化と続いてきた、と学んでいたので、少し驚きます。
飯岡さん:たしかに、水田稲作が難しい気候のため、狩猟・採集がベースでしたが、発掘調査により、擦文文化期以降は農耕も行っていたことがわかりました。栽培していたのはアワやキビなどの雑穀類です。

チセ チセ

先へ進むと平地式住居となったチセもありました。中へ入ると炉がついたようにぼうっと明るくなり、フチ(おばあさん)のオイナ(神謡)やトゥイタㇰ(説話)が流れる仕組みになっています。オイナは神々自身が主人公で謡うように語られるもの、トゥイタㇰは主に人間の体験を伝えるもので、生きる知恵を授けるような物語が多いとのこと。アイヌ語の優しい響きに心が安まります。

アイヌの交易活動の地図 アイヌの交易活動の地図

奥へ進むと、アイヌの交易活動を地図を用いて解説する案内板があり、交易品の展示が広がります。アイヌは交易品を求めて活動圏を広げていきました。カムチャツカや千島からはラッコ皮やオオワシ羽、大陸からは中国の錦、香料・ガラス玉、本州からは漆器や鉄製品などが行き交っていたことがわかります。
こうして交易品や祭具を見ていると、アイヌの美的センスの高さにため息がもれます。自然そのままの姿を愛でる心も、神々の前で正装する厳かな心も感じられて、一つひとつに見入ってしまいます。

アイヌが交流し文化的影響を強く受けた北方民族に関するコーナーも、美しい展示品が並びます。
アイヌ文様の衣服、彫刻の入った祭具、アザラシの毛皮の子ども用コートなど、すべてデザイン性が高く、実用面ばかりを重視するのではなく豊かな心を持って丁寧な暮らしをしていたことが想像できます。
神様にお酒を捧げ祈るときに使用する棒酒箸も、木の枝の元の形状を生かした一つひとつ個性的なデザインです。
刺繍やマキリ(小刀)、生活用品も、こうして見比べると、つくった民族が異なってもデザインや材料に共通点を多く見つけられ、北方での盛んな交流があったことが伺えます。

1階を1周すると、知里幸恵さんを紹介する展示が迎えてくれます。

知里幸恵さんの案内板

知里幸恵さんは、川村カ子トアイヌ記念館の川村久恵さんらが生誕祭を毎年行っていると紹介した方です。『アイヌ神謡集』を刊行することによって、明治時代の同化政策でアイヌの文化や言語が失われていく状況に大きな影響を与えました。わずか19歳で心臓病により亡くなったことが惜しまれます。

自筆ノートの複写

この展示には自筆ノートの複写もあり、自由に見ることができます。アイヌ語をローマ字で表した音とその和訳が並んでいます。
地階もあり、上川盆地の地質や地形、自然のありさまを感じられる展示が並びます。
アイヌの歴史を追い、アイヌ文化の成り立ちを理解できる旭川市博物館でした。

【旭川市博物館】
所在地 北海道旭川市神楽3条7丁目
アクセス 旭川駅南口西側から徒歩で約10分
開館時間 9時~17時

アイヌの伝承を味わいながら
石狩川を遡り、大雪山へ

地獄に通ずる穴 アフン・ル・パロ洞穴 地獄に通ずる穴 アフン・ル・パロ洞穴

旭川市博物館から石狩川沿いに車で30分ほど行くと、地獄に通ずる穴 アフン・ル・パロ洞穴があります。

左右の岩の均衡によってできたような三角形の穴は、どれだけ目をこらしてのぞいても真っ黒で、異世界につながっているような、何かが飛び出してきそうな雰囲気です。

“地獄に通ずる穴”と呼ばれる通り、ここにもアイヌの伝承が残ります。

「洞窟の奥の世界に迷い込んだふたりの老人。命からがら元の世界に戻ったが、“もう一度行ってみたい”と語った老人は、まもなくぽっくりと。“二度と行きたくない”と語った老人はとても長生きしたそうな」。

…やはりこの穴に入ってはいけないようです。

手前に金網が張ってあることからも、神居古潭の魔神伝説のように昔から危険が多い場所だったことを伝えるための物語なのかなと推測されます。

さらに車で約20分、石狩川沿いを遡ると石垣山が見えてきました。

石垣山 石垣山

石垣山の岩肌 石垣山の岩肌

石垣山を望むと、木々の間から縦に割ったような岩肌が左右に広がっているのが見えます。この絶壁は石狩川の浸食によって柱状節理の溶岩が露出したもので、現在はロッククライミングの名所としても知られています。柱状節理とは、火山活動によってできた地質構造を指し、多角形の柱が連続して立っているように見えるのが特徴です。

アイヌの伝承では、ここに病魔を一括して追い払う力を持つ「サン・コロ・カムイ」という神がいたと言われています。また、アイヌの古戦場になったという伝説も残っており、壕の跡や縄文時代の土器や矢じりなども出土している場所です。

雄大な自然の造形とアイヌの物語が重なり、今も目をこらせば当時の人々やカムイの姿がゆらめいて見えるようでした。

【地獄に通ずる穴 アフン・ル・パロ洞穴】
所在地 北海道比布町
アクセス JR室蘭本線登別駅から徒歩で約15分
【石垣山(サン山の神、アイヌの古戦場)】
所在地 北海道比布町
アクセス JR石北本線愛別駅から車で約20分

“神々が遊ぶ庭”と呼ばれる大雪山へ
美しく厳しい自然との共存を考える

さらに石狩川を遡ること車で約40分、層雲峡ビジターセンターにやってきました。上川町層雲峡温泉街にあり、すぐ隣からは大雪山層雲峡・黒岳ロープウェイも出ているため、観光客や登山者が多く訪れる場所です。

大雪山の高山植物や動物に関する展示のほか、見どころ情報の発信、四季折々の観察会の開催なども行っています。また全国初の取り組みとして導入された非接触型VR体験システムもあり、バーチャルトレーニングやスカイウォークなどを楽しく体験しながら大雪山国立公園の自然を学ぶことができます。
笑顔で迎えてくださったのは、センター長の片山さんです。上川アイヌの人々が大雪山を「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と呼んだ意味や、地形から生まれた呼び名にまつわる知識など、興味深い話をたくさんしてくださいました。

センター長 片山さん センター長 片山さん

片山さん:大雪山の自然はとても美しく、しかし同時に厳しいものです。上川アイヌは大雪山を「カムイミンタラ」、つまり「神々が遊ぶ庭」と呼びましたが、一説では「神々」は「ヒグマ」を指しているのではないかと言われているんですね。ヒグマは「キムンカムイ(山の神)」として祀る対象ですから、カムイミンタラは「ヒグマの居る場所」という意味なのではないかと。実際にヒグマがよく現れる地域であり、私も何度も見ています。こわいと思われるかもしれませんが、動物が住んでいた場所に人間が道路をつくったわけですから、ヒグマが道路を渡るのは当然のことです。ただ、ふいに出会ってしまうと、私たちが驚くようにクマも驚き、身を守ろうとするために襲ってくるわけです。また人間の食べ物の味を知ってしまうと、求めて山を降りてきます。ですから、出会わないように音を出しながら歩くとか、出会っても背を向けて逃げてはいけないとか、テントの中でごはんを食べるとにおいがつくのでいけないとか、ゴミを捨ててはいけないとか、お互いに身を守るために必要なことを登山に来た方々にレクチャーしています。

“正しく怖がる”ことが必要だと話してくださり、人間と動物の共存について考えさせられます。

さらに大雪山がなぜアイヌにとって神聖な場所となったかについてもお話しくださいました。

片山さん:上川アイヌが石狩川流域に住んだように、どの地域のアイヌも川の流域を生活拠点にしていました。大雪山国立公園は4つのエリアに分けられ、それぞれに住んだアイヌが生活拠点とした川は異なります。ここ表大雪エリアは石狩川から忠別川、東川町や旭岳の方は忠別川、上士幌町など東大雪エリアは十勝川、十勝岳連峰エリアは富良野川や空知川です。そのすべての川の源流部があるのが、大雪山なんです。アイヌは「川は山へ遡る生き物」と考えていましたから、大雪山は神聖な場所というわけです。

さらにエリアによって見える大雪山の姿も異なるのだと、ジオラマを見ながら説明してくださいました。

ジオラマ

片山さん:大雪山は単体の山を指す名称ではなく、北海道の中央高地を形づくる山々の総称です。そのため、どこから見るかによってその姿は異なります。上川アイヌは大雪山を「ヌタプカウシぺ・一段高くなった山の上にある湿原の更に上に聳えている山」と呼んでいました。
標高1500メートルほどに湿原があり、それより高いところをヌタプカウシペと呼んでいたのだそうです。地形的な特徴で名付けていたことにも、自然と共に生きるアイヌの思想を感じます。

また、北海道の地名は8~9割がアイヌ語に漢字を当てたものなのだそうです。漢字自体が持つ意味よりも似た音であることを重視した表記のため、北海道は読めない地名が多いなと思ったことがある人もいるのではないでしょうか。

地図

片山さん:ここ層雲峡も「ソーウンペツ(滝・ある・川)」というアイヌ語からきているんですよ。「層雲峡」と表記するようになったのは大正10年で、明治の文人大町桂月によって名付けられました。層雲が幾層にも重なり、霧がかったところに滝が流れる、という景色が昔の中国の水墨画に似ていると感じ、そこから着想を得たようです。
音も意味も合致している美しい名前です。

片山さん:アイヌは文字を持たない口承文化でしたから、地名や川に限らず、名前には生活に関わる意味が込められていることが多くあります。例えば、子どもを「オソマ(大便)」などの汚い名前で呼ぶ場面を、アニメやドラマで見たことはありませんか?悪霊から身を守るために、あえて忌み嫌われるような名前をつけたんです。子どもの健康を思うがゆえのおもしろい発想ですが、実は日本にも似た文化があります。船舶に「○○丸」と名付けていたことです。子どものトイレを「おまる」というように「丸」は汚いものにつける字で、船に災いが降りかかりませんように、転覆しませんように、という願いを込めた名前だったんです。

これが昔々の話かと思いきや、2000年すぎまで「○○丸」と名付けるよう法律で定められていたと言うので驚きです。

片山さん:こうした共通点からわかるように、どちらが先かはわかりませんが、互いの文化が影響し合ってきたことがわかります。「カムイ」と「神」の音が似ていることも、どちらかが影響を受けたのかもしれませんね。

他文化と交流して影響を与え合いながらも、民族の精神を大切に持ち続け固有の文化を形成していく――悠久の歴史を想い、アイヌの精神文化を残していくことの意義を改めて考えられる時間となりました。

【層雲峡ビジターセンター】
所在地 北海道上川郡上川町層雲峡温泉
アクセス JR石北本線上川駅からバスで35分
開館時間 9時~17時

層雲峡ビジターセンター公式ホームページはこちら

本当の心の豊かさとは。
美しい大自然と共に生きた上川アイヌの精神から学ぶ。

銀河の滝 銀河の滝

層雲峡ビジターセンターを出て車で5分弱のところに、日本の滝百選にも入る「銀河の滝」と「流星の滝」があります。

鋭角に切り込まれたような岩肌の隙間から流れ落ちる「銀河の滝」です。石垣山でも見た柱状節理の岩肌が高く切り立つ様子はまるで巨大彫刻のように美しく、細い川を挟んですぐ目の前に広がる景色は圧巻です。岩肌に沿うように流れ落ちる水は白い絹糸のようで、滝でありながら柔らかさを感じます。

また大雪山は「日本一早く美しい紅葉が見られるところ」と言われるように、10月初旬のこの日は紅葉が始まっており、岩肌から繊細に伸びる木々の鮮やかさに感嘆し、ずっと見上げていたい気分になります。

石狩川 石狩川

石狩川をすぐ脇に少しだけ歩くと、苔むした大小の丸い岩や、泡立つような水流がきれいで、ザーッと流れる音と共に心が落ち着きます。

流星の滝 流星の滝

数十メートル歩いた先に見えるのは、「流星の滝」です。こちらは奥まった岩の隙間から勢いよく1本の滝が流れ落ちていて、音も迫力があります。柱状節理の岩肌は、銀河の滝と比べると角がなく丸みを帯びているように見えます。

この2本の滝はほど近くに並んでいることから「夫婦滝」とも呼ばれています。銀河の滝は高さ120メートル、流星の滝は高さ90メートルで、徒歩20分ほど登ったところにある展望台「双瀑台」からは2本の滝を一緒に見ることもできます。

峡谷・層雲峡には柱状節理の断崖絶壁が約15キロメートル連なっており、この2本の滝以外にも大小さまざまな滝が見られるそうです。層雲峡の由来となったアイヌ語の「ソーウンペツ」が「滝・ある・川」という意味であると片山さんに教えてもらったことを思い出します。

【銀河・流星の滝】
所在地 北海道上川郡上川町字層雲峡
アクセス JR石北本線上川駅からバスで約40分
車で約30分、「三国峠の大樹海」へやってきました。ここは標高1139メートル、上川町と上士幌町の境界です。約100万年前の大噴火で形成された直径14キロメートル、短径10キロメートルのカルデラが広がり、針葉樹と広葉樹の混交林がつくる景観は、まさに「大樹海」です。

三国峠の大樹海 三国峠の大樹海

姿形も彩りもさまざまな木々、薄く靄がかかる先に連なる東大雪の山々、天国が浮かんでいるかのような真っ白な雲と澄んだ青空、背後の山の陰によるコントラスト――これが「神々が遊ぶ庭」かと、その美しさに言葉を失いました。

樹海に佇む天空の道:松見大橋 樹海に佇む天空の道:松見大橋

橋の欄干から 橋の欄干から

「十勝三股の樹海―カルデラが生んだ生物多様性―」として北海道遺産にも選定されているように、多様な動植物が暮らしています。
橋の欄干から真下をじっと見ていたら、鹿の家族と思われる姿を発見できました。この写真には鹿以外の動物もたくさん写っているはずです。
【三国峠の大樹海】
所在地 北海道河東郡上士幌町字幌加
アクセス 北海道自動車道音更帯広ICから約120分
初めて見る美しい大自然の中に立っていると、深く静かに呼吸ができるようになります。そして川村カ子トアイヌ記念館の副館長、川村久恵さんの言葉を思い出しました。

「どこまで経済発展をすれば、人間は満足するのでしょう。それで“豊か”と言えるのでしょうか。物をつくって消費することばかりにアイデアを出すのではなく、“減らす勇気”があるといいなと思うんです」

これは本当に欲しいものだろうか?本当にやりたいことだろうか?不要なものに執着させられていないだろうか?
アイヌの精神文化に触れられたこの旅は、心の豊かさを見失わずに生きていくことの大切さに気づかせてくれました。

「イヤイライケレ!」

“ありがとう”――優しく歌うようなアイヌ語の響きが美しい大雪山の景色と共に心に残っています。
また必ず訪れたい大切な場所になりました。
【本稿で紹介した構成文化財】 神居古潭おう穴鮮ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ ~魔神の足跡~
嵐山~チノミシリ~
立岩・人喰い刀岩
水神龍王神社
上川アイヌに関する資料一式 (川村カ子トアイヌ記念館)
上川アイヌに関する資料一式(旭川市博物館)
獄に通ずる穴 アフン・ル・パル洞穴
石垣山(サン山の神、アイヌの古戦場)
銀河・流星の滝
三国峠の大樹海

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