ああ文字サイズ
EN
条件を絞り込む
ストーリーから見る
地域から見る
文化財体系から見る
分野から見る
さらに絞り込む
条件をリセット
#075 旅引付と二枚の絵図が伝えるまち
船岡神社
延慶3年(1310)ごろに作成された荘園絵図「日根荘日根野村・井原村荒野開発絵図」に記されている岡本(現、南中岡本)には、船岡神社の境内地に船岡山があり、標高25.5mの小高い丘です。今は陸地の中にある船岡山が、古くは海岸線との境にあったといわれており、日根神社の御旅所であったといわれています。 式内社である日根神社の由来を記した文書によると、神功皇后が異国退治に行った際、新羅国皇太子で「日根明神」(日根宮)の化身でもあった正覚太子が神功皇后の軍を助けました。そして皇太子が神功皇后と共に船で岡本浦に到着したとき、雷電が轟き、大雨が降りました。そこで乗ってきた船を埋めて鎮めたそうです。そこが「船岡山」であり、翌年4月2日に神功皇后はこの場所に詣でたことから、以降4月2日に大祭が行われるようになりました。大祭時には船岡山へ神輿渡御をし、神楽が行われ、競馬を行うとあります。 このように日根神社と船岡山は深く関わっており、現在でも5月4日と5日にまくらまつりが行われており、戦後まもなくまでは船岡山への渡御も行われていたことがわかっています。
荘園絵図に記される岡本にある船岡神社の境内地にあり、標高25.5mの小高い丘である。日根荘の鎮守社である日根神社の由来書を記した文書から、日根神社との深いかかわりが伝わる。日根神社まくらまつりの神輿や幟渡御等が行われた。
【文責】 泉佐野市文化財保護課
ストーリーを読む
Google mapで見る
蟻通神社
日根荘大木の農村景観
日根神社まくらまつり
七宝瀧寺絹本著色尊勝曼荼羅図
火走神社本殿
すべてを見る
日本遺産を探すClick here!